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原金網物語 1927年~1960年頃

原金網は、1927年先代の社長である原義雄が創業し、原一族でメッシュベルトを始めとする新製品の開発を行い事業を拡大してきました。原金網物語ではその様子を紹介しています。

1927年-1960年代頃の原金網

 原金網って何屋さんって思われる方も多いでしょう。主にメッシュベルトを取り扱っています。メッシュベルトは、主に産業用に使われる搬送処理を目的とした金網です。

 ベルトの素材は主にステンレスなので、耐熱、腐食性に比較的強くできています。よってその用途は幅広く、例えば工業製品の焼き入れ等の熱処理、或いは食品などの蒸し処理、洗浄処理に使われています。もちろん戦前からそんな便利なものはありませんでした。戦後産業が発達してきた成り立ちの途中で出来上がったものなのです。

原金網の成り立ち
 
最初は戦災で延焼に遭い住吉区東粉浜に移転したのがきっかでした。生活の為に小さな町工場としてスタートしましたが最初は金網のとうし(ふるい)をメインに、もちを焼く網まで金網に関するものはなんでも作っていました。当時の金網産業は手作業部分が多く職人さんの腕で支えられていたのです。
原金網製作所の前にて
 左の写真の大きな金網は石灰をふるい分ける為の網です。鉄を作るのには溶鉱炉で鉄鉱石と石灰、コークス等を入れる必要があった為こういう人の背丈を超える大きな網が石灰の採取の時に使われていました。
 振動させることにより、網目を抜けてきた一定の大きさ以下のものに振り分けて採取していました。金網は石のふるいに使うと痛みが激しく、定期的に交換する必要がありました。
原社長が太鼓橋にて


近くの住吉大社の太鼓橋です。住吉大社は海の神を祀る神社として有名ですが、奈良時代から外交・貿易、が盛んだったことからあらゆる産業を守る神として、商売繁盛を願う大阪商人が必ずお参りする場所でした。
 戦後は物資不足で大変苦労した日々もありましたが、時々住吉大社にお参りしては商売繁盛と社内の安全を祈願していました。その御利益があったのか、高度成長期とともに工業用の網の需要が徐々に増えていきました。